00270-050104 作文とは何か、作文指導とは何か。
コメントを沢山戴きました。どうもありがとうございました。
授業づくりネットワークのサイト、拝見しました。こんなに頻繁に成蹊大学で会合がもたれていることに驚きました。全く存じませんでした。3月28日は予定に入れました。顔を出させていただきます。 サイトの中で「作文指導」が頻繁にテーマとなっている点に興味があります。なぜならshioは小学生の頃、教科の中で作文がもっとも好きではなかったからです。しかし今こうやって頼まれもしないのにblogを書いているし、論文や雑誌の連載などを書くことを楽しんでおります。では小学生の頃の自分がなぜ作文を好きになれなかったのか。振り返ってみると、「作文」が「作」文だったからなのではないかと思います。
つまり作文とは、「文を作る」、「作文すること」が目的です。しかし世の中で文章を書くことが必要とされる場合、作文自体が目的である場合は非常に少ない。多くは何か別の目的があって、その手段として文章を書きます。
ではその「別の目的」とは何か。それぞれの局面で個々具体的な目的があるのは当然ですが、それを思いっきり抽象化すると、「自己表現」です。そしてその表現とは、その向こう側にそれを受け止めてくれる人の存在があります。自分の言いたいことを誰かに聴いて欲しいのです。言い方を変えると、人が「社会」で生きる上で必要とされる本質的な能力は、「自分を表現すること」と「相手を理解すること」です。人が複数いて、その間で行われるコミュニケーションがヒトを人たらしめるのであり、数多あるコミュニケーションのチャンネルが高度な社会を形成するインフラです。文章による表現は、そのコミュニケーションチャンネルのひとつです。
したがって、「作文」を指導するのではなく、表現を指導する、言語による表現を指導するのが作文指導の本旨です。では表現を指導するとは何を指導することなのか。それは、「あなたのメッセージは何ですか」と問いかけることです。「あなたの言いたいことは何ですか」、「あなたが相手に伝えたいことは何ですか」と問いかけ、その答えとして出てきたメッセージを受け止めることが文章表現指導の出発点だと思います。つまりその出発点においては、生徒や学生から出てくるメッセージは、非常に短い。その短いことばで言い表すことができるメッセージを引き出すことが、もっとも大切だと思います。短いことに意義があるのです。
「今朝、ころんで痛かった。」
「昨日見たドラえもんの道具が面白かった。」
「お母さんが好き。」
「蝉の羽化を見てきれいで感動した。」
……
「もっと著作権を強化すべきだ。」
「著作権法30条の規定を改正するのはおかしい。」
「AのBに対する損害賠償請求は認めるべきだ。」
「CのDに対する債権者取消権の行使は100万円部分だけ可能だ。」
私は民法の講義でも著作権法の講義でも、講義の最後に学生たちにA4のペーパーを任意で書いて提出してもらっています。講義によってその名称は、「メッセージシート」と「オピニオンペーパー」とを使い分けていますが、要は学生たちの講義内容に関する意見をその場で文章に記載して提出してもらっているのです。多い人はA4表裏にびっしり書いてなおはみ出すほど書いてきます。
その際、学生に対してただひとつ、伝えます。
「結論を最初に書くこと」
この要請があるため、彼らは必死に考えます。最初に書くべき「自分の結論」は何だろう、自分が伝えるべきメッセージは何だろう、と。
それさえ見つかれば、半分終わったようなものです。あとはそのふくらまし方を考えればいい。教えればいい。問いかけるのです。上記の例だとこんな感じ。
「どこが痛かったの?」「血は出た?」
「どんな道具?」「何でその道具が必要だったの?」
「お母さんのどんなところが好き?」「なにしているときに好きって思ったの?」
「蝉の羽はどんな色だった?」
「今の著作権ではどの辺が不十分?」
「でも30条があると著作権者は不利益を受けるよね?」
「Bには過失はなかったの?」
「債権者取消権の要件は充足する?」
これが教師の仕事。
メッセージさえあれば長さは問題ではない。短く書きたかったら散文詩のようなスタイルにしたっていい。俳句だっていい。そのような「形式」は教えればすむものです。「原稿用紙3枚、書きなさい」などという外枠が最初から決まっていることは、苦痛以外の何ものでもありません。メッセージさえあればいい。もしかしたら、短い方が、そのメッセージをより直截(ゼミの学生たちへ:「ちょくせつ」です。「ちょくさい」と読まないでね。)に伝えることができるかもしれません。文章の長さを予め決めるのをやめることが、作文指導では極めて重要だと思います。いつも短くしか書かない子がいたとしても、もしかしたら詩人になるかもしれません。
伝えるべきメッセージなくしてどんな文章も空虚。
学生たちに「結論が先」と伝えないと、空虚なメッセージシート出てきます。それは思うに、「文章を書くとはメッセージを伝えることである」という根本的姿勢が身に付いていないことの表れです。それを自覚してもらうために、そのペーパーの名称に「メッセージ」、「オピニオン」という語を冠し、実際に書いてもらう時点で「結論を先に書いてくださいね」とお願いするのです。そうすると学生たちは徐々にできるようになります。
そして、ももっともっと大切なことは、教員がフィードバックすることです。メッセージは相手がいて初めて伝える意味があるものですから、そのメッセージの受け止め手である私は、必ずそれを読んだ上でコメントを返す。私は毎週100通前後のメッセージシートやオピニオンペーパーに、コメントを書き込んで、次週に返却しています。
小学生の作文の最初の課題、「先生、あのね。」
最高にすばらしい課題だと思います。上述の二つの要素、「メッセージ性」と「相手の存在」が端的に表されているからです。私も「先生、あのね。」を書いた頃は実は作文が好きでした。しかし、小学校中学年(3, 4年)の頃から好きではなくなりました。なぜだろう。もしかしたら、「作文」という行為が自己目的化した指導を受けたからかもしれません。
池内先生や田村先生のように本気で教育を考えていらっしゃる先生方には釈迦に説法です。申し訳ございません。しかし私自身大学で、レポート、論述試験、上述のメッセージシート類、大学院の修士論文など、様々な種類の文章を読み、その執筆の指導をしているなかで感じることは多いので、この機会に書かせていただきました。
ぜひそのうちにお目にかかってお話を伺いたいと存じます。
やっぱりiWorkが本当に楽しみですよね。現在shioが文書作成に使っているのは下記のソフトウェアです。
(1) 簡単な文字原稿の執筆にはmiとJedit
(2) ちょっとしたレイアウトが必要なペラものの原稿で文字のみのもの(レジュメとか)にはテキストエディット
(3) 凝ったレイアウトをする書類にはOmniGraffle Pro
(4) 長めの原稿などはOmniOutliner
(5) 脚注を打つ必要のある原稿はOmniOutlinerで書いた後NisusWriter Expressでレイアウト
といった感じです。もしiWorkがこれらのニーズのうち複数を満たしてくれるものであれば、本当にうれしい。とくに、(1)、(2)、(5)の用途に使えるソフトが純正で用意されることを長年待ちわびております。なぜなら、周囲の人にマックを薦めるにあたり、「論文執筆環境」は最大の関心事だからです。
to 池内さん
おっしゃるとおり、小学生にパワーポイントを使わせるなど、愚の骨頂だと思います。模造紙に絵を描いたり文字を書いたり写真を配置したり折り紙を貼ったり……。色を効果的に使って、うまくいかなかったら書き直して……。そういう行為のシミュレーションがプレゼンテーションソフトです。その原体験なくしてソフトウェアというヴァーチャルな道具を使うべからず。
リアルな体験を山のように積んで初めて「使い分け」ができるのです。ヴァーチャルはリアルの代替にはなりません。
to マトスン
IT導入で生産性が上がるかどうかは、導入するITの生産性その他に依存すると思います。次回会ったら話しましょう。
to 田村さん
書くという行為は、本当に脳に直結していることを実感しますよね。
やっぱりアナログな媒体によるリアルな体験に勝るものはありません。だから旅行というリアルな体験にPDAを持参しないのは賛成です!! ステキなご旅行を!!